深淵なる精神への苦悩
加藤顕清・作 「思惟像」
旭川市役所と常磐公園をつなぐ7条通りは、通称「緑道(りょくどう)」と呼ばれています。ここには加藤顕清氏の作品が4体設置されており、この「思惟像」もその一つです。「昭和通」と呼ばれる通りの6丁目側にあり、通りをはさんだ7丁目側には同じように身を縮めた「男子座裸像」があります。そのいずれもが氏の深い精神性を表現し、見る者に深い感動を与えます。

●ブロンズ
●高さ95センチメートル
●1964年制作
●1972年設置
●緑道(7条6丁目)

2006/11/14


市の中心部にありながも静かな通りの「緑道」。散策したりベンチに座ったり、冬になると常磐公園で開催される祭りへ向かうメインストリートの役割まではたします。しかし最も美しく映えるのは、冬の夜、しんしんと降る雪の中で街頭に照らされる木々の姿です。

この緑道に加藤顕清氏の作品「思惟像」があります。端正な肉体を自らの肉体にからめ、苦悩する魂の有りようを表現しているとされています。それは人間の在り方への問いであり、同時に作者自身が見つめる人間への思いそのもののようです。

しかし氏の一連の作品から、苦悩はより高みへと昇るための避けられない道程であるとの思いが伝わってきます。作品ごとに自己の内面を見つめることによって、人間そのものに共通の精神性へと突き抜けていった、氏の内面の歓喜が伝わってくるようです。

過激な人種思想を展開したマルコム-Xが、しかしイスラムの聖地へとおもむき多様な人種が礼拝する姿を見て、それまでの思想を大きく転換しようとした。もとより扇情的な言動とは裏腹に決して暴力闘争をせず、むしろ整然と黒人を指揮したマルコム-Xの精神の底流にも、初期の運動論とは全く逆に、人間全体への信頼に対する渇望があったのではないかとさえ思えます。

顕清氏の作品は単なる人体の立体的なデッサンを超えて、より深い哲学性を感じさせます。時代や地域・人種や思想を超えて精錬された魂が希求するのは、人間そのものへの信頼と希望ではないかと思います。苦悩の闇を超えてこそ、託すに値する青年へと成長する、という氏の叫びが聞こえるようです。


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